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命を
考えてみましょう~
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『輝け!みんなの夢力』
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昨年の「少年の主張」で、
内閣総理大臣賞を
とった中学生の
作文だそうです。
本文長いので最後まで
見れない方はこちら↓
http://www.posh.jp/t2/ex/hp.php?w=awemr32p5f&i=10702W198764 「命」
「ごめんね。
ごめんね。」
夢の中の母は、
泣きながら私に
何度も何度も
謝っています。
母の癌が
発覚したとき、
そのお腹の中には
一つの小さな命が
宿っていました。
でも、
抗ガン剤を
投与すれば、
必ず赤ちゃんに
影響が出てしまいます。
看護士だった母は、
そのことを誰よりも
知っていたはずです。
それでも母は、
お腹の中の命を
自ら奪ってしまった‥
どんなに悩み、
苦しんだことでしょう。
生まれてくる
はずだった私の弟妹‥。
でも、
もし母の選択が
間違っていたら、
幼かった私の中の
母の思い出は、
もっともっと
薄らいでいたかも
しれません。
母は、
自分の命を
選んだのではなく、
幼かった
「私」を選んで
くれたのだと思います。
「この子を残して
今は死ねない‥。」と。
私が小学二年の
十一月、母は、
再び倒れました。
誰かを呼ばなくて
はいけない。
初めて見る母の
苦しむ姿に、
私は声も出ず、
金縛りにあったように
立ちすくむだけでした。
やっとのことで
父を呼ぶことは
できたものの、
再入院。
それでも、
「死」とは、
老いていく人から
という安易な考えを
持っていた私‥
幼かったとはいえ、
今もその時の
後悔を引きずる毎日です。
春になろうとする
頃でした。
父から
「お母さん、
死んじゃうんだよ‥。」
と知らされました。
悲しくて悲しくて、
庭の花を見ても
(何呑気に
咲いているんだよ!)と
憎くてたまりませんでした。
そして、
どんなに父に諭されても、
「お母さんは絶対に死なない。」
と、自分に
言い聞かせていました。
しかし、
その思いを
裏切るかのように、
母の顔色は
日に日に悪くなっていき、
ついにはしゃべることも
困難になりました。
そして‥
私が三年生になった
ばかりの四月九日、
母は天国に旅立ちました。
病気になっても、
母は私の前では
笑顔でした。
でも、
その笑顔はいつも辛そうで、
必死に消えゆく
「命」と
戦っていたのです。
遺影の中で
笑う母の笑顔、
泣きじゃくる私を
抱きしめてくれた
父の震える腕。
どれもが「命」
そのものでした。
今日の
新聞にも殺人事件の
記事が載っています。
コンビニのトイレに
生み捨てられていた
赤ちゃん、
自分の欲望のために
いとも簡単に、
あたかも人形のように
無惨な姿にしてしまう
命の終末も
絶対に許せません。
不況の中、
自殺者も増えています。
母の苦しみを思うと、
安易に命を奪ったり、
自ら生きることを
あきらめたりすることに
腹が立ちます。
その命は
あなた一人のものでは
ないのに。
お母さんから
与えられたはずの
大切な
「命」
なのに。
簡単に捨てないで!!
一つの
「命」
がこの世に
誕生することは、
四億分の一の
確率だと
言われています。
奇跡なのです。
命はいずれ
無くなりますが、
自分で落としたり、
他人が奪ったりしては
絶対に
あってはなりません。
私の周りにも
親を亡くしてしまった
友人がいます。
でも、
精一杯生きています。
「命」を
しっかり
受け止めています。
どんなにつらくても、
それを乗り越えてこそ
「命」には
価値があるのでは
ないでしょうか。
人はこの世で
何か役割を背負って
生きていると思うのです。
母の役目は、
きっと私に命の大切さを
教えることだった
のかもしれません。
母は
今日も変わらない
笑顔で私たちに
微笑みかけてくれます。
病魔と必死に闘い、
その一生を
精一杯生き抜いた母を
私は誇りに思います。
「お母さん、
もう謝らないで。
私は大丈夫だよ。
元気だよ。
お母さんから
もらった命を大切に、
大切に生きているよ。」
静岡県沼津市立
第三中学校3年
内村 綸笑
☆
命の大切さ
今
生まれてきて
生きている
感謝です
この命
大切にしましょう
564-0082
大阪府吹田市片山町
4-41-33
みのり薬店
0120873300
10-20時 日曜日お休み
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