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嫁ぐ娘

今日は、
嫁ぐ娘とお母さんの
あるお話を

読んでください。




本文長いので
最後まで受信
できない方は
こちらから↓
http://www.posh.jp/t2/ex/hp.php?w=boq8a0491v&i=10702W198764
=====

【残っていた
留守番メッセージ】

私が結婚を
母に報告した時、
ありったけの祝福の
言葉を言い終わった
母は、私の手を
握りまっすぐ
目をみつめてこう
言った。


「私にとって、
濡は本当の娘だからね」


ドキリとした。


母と私の血が
つながっていないことは
父が再婚してからの
18年間、
互いに触れていなかった


再婚当時幼かった
私にとって「母」の
記憶は
「今の母」だけで、
『義理』という意識は
私にはなかった。


けれど、
やはり戸籍上私は

「養子」で、

母にとって
私は父と前妻の
子なので、
母が私のことをどう
考えているのか、
わからなかった。


気になってはいても
そのことを口に
出した途端、
互いがそれを
意識してちぐはぐな
関係になってしまい
そうで、聞き出す
勇気は私にはなかった


だから、母の突然で
まっすぐな言葉に
私は驚き、
すぐに何かをいう事が
できなかったのだ。


母は私の返事を
待たずに
「今日の晩御飯、
張り切らなくちゃだめね」
と言い台所に向かった。


私はその後姿を見て、
自分がタイミングを
逃したことに気がついた


そして、

「私もだよ、お母さん」

すぐそう言えば
良かったと後悔した。


結婚式当日、
母はいつも通りの
母だった。

対する私は、
言いそびれた言葉を
いつ言うべきかを
考えていて、
少しよそよそしかった


式は順調に進み、
ボロボロ泣いている
父の横にいる、
母のスピーチとなった


母は何かを
準備していたらしく、

司会者の人に
マイクを通さず
何かを喋り、
マイクを通して
「お願いします」
と言った。


すると母は
喋っていないのに、
会場のスピーカーから
誰かの声が
聞こえた。


「もしもし、

お母さん。
看護婦さんが
テレホンカード
でしてくれたの。

お母さんに
会いたい。

お母さんどこ?
澪を迎えに来て。
澪ね、
今日お母さんが
来ると
思って折り紙をね…」


そこで声は
ピーっという音に
遮られた。


「以上の録音を
消去する場合は
9を…」


と式場に響く中、
私の頭の中に
昔の記憶が流水の
ごとくなだれ
込んできた。


車にはねられ、
軽く頭を縫った
小学校2年生の私。

病院に
数週間入院
することになり
母に会えなくて、
夜も怖くて
泣いていた私。


看護婦さんに
駄々をこねて、
病院内の
公衆電話から自宅に
電話してもらった私。


この電話の後、
面会時間ギリギリ頃に
母が息を切らして
会いに来てくれた。


シーンと
静まりかえる式場で、
母は私が結婚報告
したのを聞いた時と
同じ表情で、
まっすぐ前を
見つめながら

話し始めた。


「私が夫と結婚を
決めたとき、

互いの両親から
大反対されました。

すでに夫には
2歳の娘が
いたからです。

それでも私たちは
結婚をしました。

娘が7歳になり、
私はこのままこの子の
母としてやっていける、
そう確信し
自信をつけた時、


油断が
生まれてしまいました。

私の不注意で
娘は事故にあい、
入院することになって
しまったのです。」


あの事故は、
母と一緒にいるときに
私が勝手に道路に
飛び出しただけで、
決して母のせいでは
なかった。


「私は自分を
責めました。

そしてこんな
母親失格の私が、
娘のそぼにいては
いけないと
思うようになり

娘の病院に段々足を
運ばなくなって
いったのです。

今思えば、
逆の行動を
とるべきですよね。」


そこで母は少し笑い、
目を下に
おとして続けた。


「そんなとき、
パートから帰った私を
待っていたのは、
娘からのこの
留守番電話
のメッセージでした。

私は




『もしもし、お母さん』





このフレーズを
何度もリピートして
聞きました。

その言葉は、
母親として
側にいても良い、

娘がそう言って
くれているような気が
したのです。」


初めて見る母の
泣き顔は、
ぼやけてはっきりと
見えなかった。


「ありがとう、濡」


隣にいる父は、
少しぽかん
としながらも
泣きながら母を
見ていた。

きっと、
母がそんなことを
考えているなんて
知らなかったのだろう。


私も知らなかった。


司会者が
私にマイクを回した。


事故は母が
悪いわけじゃない
ことなど、

言いたいことは
たくさんあったけれど、

泣き声で苦しい私は、

言いそびれた
一番大事な

言葉だけを伝えた。


「私もだよ、お母さん。

ありがとう」

=====


お母さんと子ども

お母さんと娘

お母さんと息子



やはり

ぜったい


お母さんのほうが


人気あるな~~




全国のお父さん


がんばりまひょう~~



それはそれで、


親子の絆

お互いを思いやる心が
すべてをゆるせるん
ですよね!


許せるんです。



ストレス

それを
このメールで
解消してもらえる
なんて

たいそうな事は
考えてませんが、、



今苦しい方、


自分をゆるし、
他人をゆるす
って考え


あるんですよ、、

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SYJ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1962/09/02
職業:
薬店経営
趣味:
ゴルフ、お酒、カラオケ
自己紹介:
ダイエットをメンイに
たのしく、明るくを
モットーに、
薬店をやっています。
顔と声は、ここです!
ユーチューブ

http://www.youtube.
com/watch?v=4JCIKCk2c5M

昭和37年9月大阪府吹田市生まれ
藤が丘幼稚園~千里第一小学校~
吹田第二中学~吹田東高校~
日本文理大学で~~す!

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ユーチューブ↓
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com/
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